自分は運が良いと思えるかどうか
大学生の頃、就活していて面接で聞かれたある質問と自分の回答がいまでも印象に残っている。
『あなたは運が良い方だと思いますか?』
私は面接で初めてそんな質問をされたのに、
「運は良いです。間違いありません。」と即答した。
もちろん面接官は根拠を聞いてきた。
私はこの質問にも、なんのためらいもなく返事をした。
運がよかったと思うアレコレを。
その会社で今働いていたら面白かったけど、残念ながら内定はもらえなった。
最終面接まで残った会社だったかも忘れてしまっているあたり、私っぽい。
なんでこんな話をしているかというと、
この質問に即答できる人って意外と少ないんじゃないか
と思ったからだ。
運がいいとか、悪いとか、そんなのくだらないって思うでしょう?
くだらないからいいんじゃないか。
少なくともこの記事を読もうと思ったってことは、ちょっと気になってるんだと思うし、最近運がないかもって思ってる人?
もしくは何か嫌なことがあってちょっと落ち込んでいる?
この記事がどんな人に役に立つのかは想像もできないし、役に立たないかもしれない。笑
そういえば忘れてたけど、私が私のために書いているようなブログなんだから、役に立とうが立たなかろうが、知ったこっちゃあないね!未来の自分にとって役に立てばそれでいいや!笑
私なりの運がよくなる方法、よかったら見てってちょうだい!
- 運の良さは生まれつきなのか
- 何もかもうまくいかない時は必要最低限だけをやる
- 世界は自分のために回っていてよい
- 神様は乗り越えられない試練を与えない
- 運が悪いなんて考えている暇はない
- 運の良さは1日にしてならず
- 結局、運ってなんなのよ
運の良さは生まれつきなのか
もともと私がポジティブな性格なのかと言われるとそうではない。私は割と小さい頃は環境のせい、まわりのせいにするタイプだったし、何事に対してもネガティブだった。
私が人見知りなのは、勉強ができないのは、世間知らずなのは、不幸に感じているのは、友達ができないのは、親と環境のせい。だと思っていた。親や家族が私の世界の全てだと思っていたからだ。
生まれてくる場所は、選べない
親は、選べない
ただただ運が悪かったと思うだけだった。
でも全てが環境のせいじゃないと気づいた時から私の人生はぐるりと方向を変えたように思う。
いつかは正直あんまり覚えていないし、きっかけも覚えていない。
いつからか、人生は親のためのものでなくて、自分のためにあると考えられるようになった。自分で自分の行動のすべてを選択して生きているということを学んだ。
勉強ができなかったのも、人見知りを克服できなかったのも、友達ができなかったのも、全部自分がそれに対して何にもしてこなかったからだ。
自分では変えられないことが足枷になることはあるけれど、自分は自分を変えられる。むしろ自分が変えられるのは自分だけだ。
考え方を変えることで、足枷が足枷じゃなくなることもある。
何もしないという行動
何もできないという決めつけ・思い込み
全て自分が選択して行動していることに気づけるかどうか。
何もかもうまくいかない時は必要最低限だけをやる
社会人になって気づいたんですけど、何やってもダメな時には頑張れば頑張るほど、意味もなく身も心も消耗していくのですよ。そういう時ってあるじゃん。嫌なことがめちゃ重なる、嫌なことの詰め合わせ!みたいな日。
そういう時はいつもできてることも十分にできないことが多くて自分に絶望するので、自分を甘やかす時なんだと思えば良いかなって。
いつもやってることを全部やろうとしないで、必要最低限をこなす。自分の中の必要最低限を決めておく。
例えばどんなふうに?と言われると難しい。そこは自分で考えて欲しい。
自分のなかでそれを決めておけば、自分を褒めてあげられるでしょう。ここまでできたんだから偉いよ私!って
勉強や仕事やってさらに掃除洗濯炊事全部やってるあなたはすごいし、自分磨きもやってるならあなたは天才だ。馬鹿にしているわけでもないお世辞でもない。本当にすごい。尊敬します。あなたは強い人で頑張れる人。
自分をちゃんと褒めてあげること、参ってる時こそ褒めてあげる癖をつける。
これが大事なのよね。負の連鎖を自らが止めていく方法のひとつ。
世界は自分のために回っていてよい
帰り道に可愛いねこに出会った。買ったホットスナックがラス1だった。綺麗な夕陽を見られた。ゾロ目を発見した。雲の形がハートだった。虹を見つけた。四葉のクローバーを見つけた。お菓子をもらった。好きなアーティストのレコードを見つけた。お休みの日が快晴だった。メイクがうまくいった。たまたま付けたテレビが面白かった。
大小関わらず嬉しいこと楽しいことに気づける人ほど自分を幸せにできる人だと思っている。
世界で起こっている楽しい・嬉しい・面白いと思えることの全てが自分のために用意されたものだと思えたら、脳みそがお花畑になれる。
お花畑で何が悪い。自分を幸せにできるのは、自分だけ。
だから、世界は自分のために回っていていいのだよ。
自分のために、全部全部用意されてたんだって、都合よく考えていい。
神様は乗り越えられない試練を与えない
でっかい壁にぶち当たった時、悔しくて悔しくて仕方ない。なんでこんな壁を簡単に攻略できないのかと、自分を責める時もある。
でもよく考えたら、成長しようともがいているからこそ壁にぶち当たるのだ。今のままでよかったら壁にぶち当たる必要はない。なぜもがくのか。自分が成長したいからだ。
そう考えられるようになってから、自分を奮い立たせるために、自分に唱えている。
神様は乗り越えられない試練は与えない
ちなみに神様は信じてないし、神頼みしたことは大体叶わない。が、言葉にすることは大事だとは思う。
神様は実は自分なのかもしれない。神様に頼んだことは大体自分が自分のために叶えてあげてるもんね!
神様なんかより自分を信じること。根拠はいらない。
運が悪いなんて考えている暇はない
世の中には目的・目標を達成するために、時間と金をつぎ込む人が山ほどいることを忘れてはいけない。
時間とお金があればだいたいのことはできてしまう。
運が良い悪いとか言ってる間に、行きたかったコンサートのチケットも欲しかったグッズも売り切れるし最悪だ。
じゃあどうしたらよいのか。
結局は、現実をみることが大事なんだと思っている。
作戦を十分に用意しておくこと、資金に余裕をもつこと、自分の限界・辞め時・諦め時を決めておくこと
運任せにする前に、考えることはやまほどある。
そんなこといっているうちにも、先を越されてしまうのだ!!!!
運の良さは1日にしてならず
ゲッ○ーズさんによると、運の良い人は日頃から運を呼ぶ行動を無意識にしているらしい。
毎日ため息をついてやる気もなく仕事をしている人に対して、良い縁が回ってくるだろうか。ビジネスチャンスは巡ってくるだろうか。給与はあがるだろうか。
一方、やる気があって何事にも真剣に取り組み、よく周りを助け、疲れていても笑顔で対応する人に対して、どんなことが起こりうるだろうか。想像するにたやすいでしょう。
そもそも運が良いってなんだよと言う人はそれは人それぞれなので、自分で考えて欲しい。(2回目)
運が良い人間になるための方法はそこら中に情報が転がっている。それを信じてやるかどうかは自分次第だ。
これを読んで、一つくらいはやってみたらどうだい。損することは一つもないと思うんだよ。それに、運が良いに越したことはないしね。
運はなんだか徳と似ている。徳を積むことが良しとされているのはなぜだろうか。徳を積むとよいことが自分に返ってくる的な話だよね。
運も同じで、毎日の積み重ねが必要なんだと思う。
幸せになるためには、鍛錬が必要なのである。
結局、運ってなんなのよ
さて、ここまで適当に思ったことをつらつら書いてみたけど、
結局どうしたらいいんですか。簡潔に言ってください。
と言われたらなんていうかなあ。
運がなにかと言われたら、自分がやってきたことの結果なわけよ。
だから何もせずに良い結果はでないわけだから、
運に頼るな
悩むな考えろ
かなあ。
悩むと考えるの違いが分からない人はぜひぐぐって。
私の中では結構大事にしていること。
悩むと考えるの違いを意識していろいろ私も変われたので。。。
(もしかしてそれを書けばよかった....?)
3000字を超える駄文を読んでくれてありがとうございました。
読んだ人みんなになにかしら役に立つ考え方があったらいいな。
未来の自分にも役立ったらよいなあ。
あとこれも興味あったら読んでみて。
プレビューでちょっとだけ読めるのだけど、それだけでも結構面白かった。
買っちゃおうかな。笑